2022-01-01から1年間の記事一覧
ひどく心が痛んでいる。こういうときは、何かにつけて、自分には何もない、と思ってかなしくなる。より正確にいえば、自分にはいま、何もないと思おうとするのだ。すると、本当はそんなことないはずなのに、思えば思うほど、本当に何もないのではないか、と…
ないのではなく、見えていないだけのことがあるから、気をつけたい。
正しさは強すぎることもある。
相手を思って言葉を重ねたはずが、自らがその重さに押し潰されてゆく無様。
人にアドバイスをすると、途中から「いったい自分ごときがどの立場からものを言っているんだ」と気づいて、萎えて、発する言葉のすべてがうすっぺらく思えて、何も言いたくなくなる。アドバイスなんてしなければよかった。
夏の、留まりたくなるような夜。付けっぱなしのテレビは、延々と再放送を流し続けている。もう雑音としか思えなかったが、それでもこの夜の一部なのだと思うと、電源を消せないでいる。
「同情するな」という言葉が分からなかった。相手の気持ちをなるたけ汲み取って寄り添うことの、何が問題だというのだろう。むしろ素敵なことでさえないだろうか、と。いまになってやっと分かった。それはただただ、自己完結のエゴでしかないのだ。 抱えてい…
自分の落ち度のくせに、それを笑ってごまかす癖があって、良くないと分かっているのに、思わずやってしまったときの自分が本当に大嫌い。その場をどうにか取り繕うとして自嘲を選んだ自分が、薄くて弱くて情けなくて仕方ない。いい加減、真摯に対応しません…
もうこれ以上どんな言葉を重ねても、ただかさが増すばかりで言い訳にしかならないのだろうな、と思って、今までは言っていたであろう言葉を引っ込める癖ができた。 例えば、自分の姿勢や考え方が相手と合わなくて、相手にそれを指摘されたとき。今までだった…
0.1でも0よりマシだと思うことにする。
「やってみました」「わあすごい」をふざけんなと心のうちで罵って、過去へ落ちる重力になんとか抗っていると、次第に「いつかきっと」が擦り減っていって、代わりに高慢の定義が拡がっていく。それを避けられるだけ避けて、安定を保とうとしている。 正しく…
慢心を貶すふりして逃げていたい。静かに認めていてほしい。
突拍子のない言動だったとしても、相手なりの一分の理があるのかも、と考える余裕を持っていたい。
睡魔がサキュバスに勝ったのだ。
何も求めない、というのは一見して無害に見えるが、必ずしも最低限の要請であるとは限らなくて、むしろ強欲とすら思える。
眠れず眠気を待つばかり。しかし夜の長さを数えていると、だんだんねむくなってきた。
「向いてない」に弱さを隠すのは弱い。
好きではないことに、鈍感で無関心でいられたら楽なのに、わざわざ嫌うことで気力を自ら削いでいるのだから、疲れてしかたない。
言葉を大切にしながら、雑にではなく、丁寧に生きたいと思った。
疑って疑って疑って、裏返したら何もなかった。
かなしいを指折り数えてわんわん泣いている自分に、もし自分すら声をかけてあげなかったら。誰にも気づいてもらえずに、声は嗄れ、涙は涸れ、いつかもう泣くことすらできなくなってしまうのだとしたら。
あらゆるものを認めている自分はそれでも、自分に認められているのだろうか?
逆理を勝手に誤りということにして、自分が一般に照らして正しいことに安心しながら生きるようになりたくないから、白黒、善悪、真偽、清濁、賢愚のほかに「わからない」があっていいと思うのだ。
時折、死に触れて、生きていることを確かめる。
さっきはひどいことしてごめんね、だって。DV彼氏かな?
知らなくていいことは自分を守るため、知るべきでないことは相手を守るため。
見たくないものを見ない自由が欲しいと思う一方で、私にとって見たくないものだとしても、それが私以外の誰かにとって見せたいものであることは確かで、この私とその誰かの希求を比べた上で、つねに前者を優先していいなんてことはきっとない。
逃れられることを忘れたふりして、逃げ道への脱出口を尻目に進んでゆく。ただし、こっそりパンくずを落としながら。
甘く楽しい過去を思い出せなくなって、代わりに苦い気持ちをいまも抱きしめているらしい。この目隠しを取れないのだ。
なぜ最後に残るのは、決まっていつも悪いほうの思い出なのだろう。