げらげら

ノンフィクションとは限りません。

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「やってみました」「わあすごい」をふざけんなと心のうちで罵って、過去へ落ちる重力になんとか抗っていると、次第に「いつかきっと」が擦り減っていって、代わりに高慢の定義が拡がっていく。それを避けられるだけ避けて、安定を保とうとしている。

正しくないということは分かっているのに、見たくないものはやっぱり見たくなくて、それは私が弱いということだ。