げらげら

ノンフィクションとは限りません。

同情

「同情するな」という言葉が分からなかった。相手の気持ちをなるたけ汲み取って寄り添うことの、何が問題だというのだろう。むしろ素敵なことでさえないだろうか、と。いまになってやっと分かった。それはただただ、自己完結のエゴでしかないのだ。

抱えている悲しみを勝手に切り取られ、「ああこれは確かに泣けますね」と他人に批評される側に立てば、「私の悲しみを勝手に分かった気になるな」「私の孤独をあなたの物差しで測るな」と腹を立てるのは当然だろう。あまりに当然のことだから、金言よろしく「同情するな」という訓告だけが、現世をぐるぐると巡っているに違いない。

しかし、私たちは、時に人間が「分かってほしい」という感情も併せ持つことを知っているから、大切な人に対しては、「もしかしたら誰かに話したいのではないだろうか」「このまま何もしないでいるよりは」と、エゴだと分かっていながらも、思わず手が伸びてしまう。

「同情するな」に反するその愚行を、私はまだ、否定できずにいる。