好きではないことに、鈍感で無関心でいられたら楽なのに、わざわざ嫌うことで気力を自ら削いでいるのだから、疲れてしかたない。
言葉を大切にしながら、雑にではなく、丁寧に生きたいと思った。
疑って疑って疑って、裏返したら何もなかった。
かなしいを指折り数えてわんわん泣いている自分に、もし自分すら声をかけてあげなかったら。誰にも気づいてもらえずに、声は嗄れ、涙は涸れ、いつかもう泣くことすらできなくなってしまうのだとしたら。
あらゆるものを認めている自分はそれでも、自分に認められているのだろうか?
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