2022-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「やってみました」「わあすごい」をふざけんなと心のうちで罵って、過去へ落ちる重力になんとか抗っていると、次第に「いつかきっと」が擦り減っていって、代わりに高慢の定義が拡がっていく。それを避けられるだけ避けて、安定を保とうとしている。 正しく…
慢心を貶すふりして逃げていたい。静かに認めていてほしい。
突拍子のない言動だったとしても、相手なりの一分の理があるのかも、と考える余裕を持っていたい。
睡魔がサキュバスに勝ったのだ。
何も求めない、というのは一見して無害に見えるが、必ずしも最低限の要請であるとは限らなくて、むしろ強欲とすら思える。
眠れず眠気を待つばかり。しかし夜の長さを数えていると、だんだんねむくなってきた。
「向いてない」に弱さを隠すのは弱い。
好きではないことに、鈍感で無関心でいられたら楽なのに、わざわざ嫌うことで気力を自ら削いでいるのだから、疲れてしかたない。
言葉を大切にしながら、雑にではなく、丁寧に生きたいと思った。
疑って疑って疑って、裏返したら何もなかった。
かなしいを指折り数えてわんわん泣いている自分に、もし自分すら声をかけてあげなかったら。誰にも気づいてもらえずに、声は嗄れ、涙は涸れ、いつかもう泣くことすらできなくなってしまうのだとしたら。
あらゆるものを認めている自分はそれでも、自分に認められているのだろうか?
逆理を勝手に誤りということにして、自分が一般に照らして正しいことに安心しながら生きるようになりたくないから、白黒、善悪、真偽、清濁、賢愚のほかに「わからない」があっていいと思うのだ。
時折、死に触れて、生きていることを確かめる。
さっきはひどいことしてごめんね、だって。DV彼氏かな?
知らなくていいことは自分を守るため、知るべきでないことは相手を守るため。
見たくないものを見ない自由が欲しいと思う一方で、私にとって見たくないものだとしても、それが私以外の誰かにとって見せたいものであることは確かで、この私とその誰かの希求を比べた上で、つねに前者を優先していいなんてことはきっとない。
逃れられることを忘れたふりして、逃げ道への脱出口を尻目に進んでゆく。ただし、こっそりパンくずを落としながら。
甘く楽しい過去を思い出せなくなって、代わりに苦い気持ちをいまも抱きしめているらしい。この目隠しを取れないのだ。
なぜ最後に残るのは、決まっていつも悪いほうの思い出なのだろう。
自分を信じてあげるべきだが、しかしそれは、自分を疑わないこととは異なる。
対外へぱっと放った矢印が戻ってきて、あったはずの鏃がなくなっている。
言葉を呼吸するからこそ、言葉に呑まれてはいけない、と強く思った。
二値ではないのだと思った。わからない、があっていい。どうでもいい、もあっていい。人を勝手に推量して、分かりやすいテンプレートにねじ込むことの、どれだけ愚かなことか。上澄みとトートロジーで説明できると思う浅ましさに吐き気がする。一体あんたに…
わけもわからずかなしくなって泣いてしまう。どうしたらいいかわからないけど、どうしてほしいとも思わない。このかなしさに向き合えるのはわたしだけだから。
自分の存在意義はどこにあるのか、いまさら、ふらふらとさまよう。そもそもそんなものはもとからないのかもしれないのに。求めるだけ無駄なのかもしれないのに、確かめずにいられないときがある。 そういうとき、「もし自分ひとりいなくなったとしても世界は…
良かれと思ってがぶつかってしまって、じゃあそんなのいらなかったと思ったけど、これを言ったらまた怒られちゃうな...
あなたの個人的な主張なのに、安易に主語を大きくして、「みんなもそうだよね」。
「いいんじゃない?」の思考放棄に助けられたくない。何も言っていないのと同じだ。むしろそれなら何も言わないでいてほしかった。
大切なのは結果ではなく過程だという。そんなわけない。 どれだけの人間が、見えない過程の部分を評価してくれるというのだろう。初対面の人間に「私の内面をみて!」と言うのと同じくらい無理な話だ。 だから「結果より過程」という至言の陰、優しそうな笑…