げらげら

ノンフィクションとは限りません。

零す

誰にも嫌われたくないというのは、まったく自分の抽象、自己の忘却なのだろう。誰にでも受け入れられる事実を口にしたところで、それは周知のトートロジーを繰り返しているにすぎず、つまり何も言っていないのと同じだ。そこに自我はない。

分かっているのに、すべて掬おうとしてしまう。無理だと分かっているはずなのに。