げらげら

ノンフィクションとは限りません。

ack

自分の存在意義はどこにあるのか、いまさら、ふらふらとさまよう。そもそもそんなものはもとからないのかもしれないのに。求めるだけ無駄なのかもしれないのに、確かめずにいられないときがある。

そういうとき、「もし自分ひとりいなくなったとしても世界は何も変わらない」のテンプレに発想が飛ぶ。じゃあ逆に、自分がいなくなったことで何かが変わってほしいかと思うと、そうでもない。違う。偲ばれたいわけじゃない。極端になりすぎている。

もっと単純だと思う。寂しいだけ。きっと自分の発した言葉だったり、自分の起こした行動だったり、対外へ何かを働きかけたときに、それが誰にも届かないことが寂しいだけなのだ。呼びかけてそのまま、応答がないから寂しい。誰も自分を気にかけていないのが寂しい。ああやっぱり人は孤独なのだ、と思ってしまうことが寂しい。自分のことを、「この人の表現には意味がある」と思ってくれる人がいなくて寂しい。無力感に溺れて、呼吸ができずにもがくのが寂しい。

でも、とも思う。そればかり続いたわけじゃないのだ。いつも独り、というわけじゃない。つまり、「受け取りました」を当然として、返答のない、遠くへ行ってしまった発信だけをぼんやりと眺め憂いているような、身勝手極まりない自分がいる。きっと無意識のうちで、どこかしらへ届くことを前提にしている。確かなことは、ぜんぶ自分のせいだということだ。