げらげら

ノンフィクションとは限りません。

無題

自分には人間味がないのだとつくづく思う。人としての個性、経験、奥行き、信念、一貫性といった、人の深みをつくる構成要素たちが決定的に欠けていて、その空いている分を孤独だけで埋めていっている感じがする。しかもそれはもう、取り返しのつかないくらいに染まってしまったような感じがするのだ。

孤独は、構わない。むしろ好きなほうだ。だが、ときどき無性に寂しくなることがある。そのときに、いま自分は「孤独をあえて選んで」いるのか、それとも「孤独以外を選べないで」いるのかを考える。前までは「選んでいる」と断言できた。しかし、今はもう、私には孤独しか残されていないような気がしている。

他の選択肢がぜんぶなくなって、最後に残された孤独が、本当の意味での孤独だと思うのだ。コントロールできていない孤独、言い換えれば「孤独にならざるを得ない」孤独は、独りよがりで、自ら抜け出せなくて、そして空しい、哀しい。

独りを選び続けることは、自身の社会性への自傷行為ではないだろうか。だとすれば、私はもうやり過ぎた。独りであることに慣れてしまって、人と会話することに面倒と退潮を覚え、「頑張ってコミュニケーションをとろう」という踏ん張り、ブレーキが効かなくなって、できるだけ独りでいられるほうにハンドルを切っている。そういうふうに、私が他人を避けるものだから、他人も私を避けるようになって、私を孤立させる溝は、あくまでも私自身によって、ますます深く、抉られていく。