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分かりやすいのは良いことだと思っていたけど、そんなこともないみたい。
昼から米を研ぐ。8枚切りを2枚焼く。雨がしとしと降っている。
ALL FOR ONE, but
最近、物事を客観視することに自信が持てない。そもそも、実際に思考するのはあくまで自分自身なのだから、完全に自分の外側から考えるなんてできっこないと思う。そこには無意識に自分自身の思い込みや気持ちの残滓が混入しているだろうし、むしろその方が自然なことだと思う。
だから、例えば何かの言葉を使うときに、「この言葉はこう伝わるだろう」と考えたところで、本当にそうなのか、確信を持てない。確かめる術がなくて、足場にぽっかり穴があいた感覚に陥る。もしひとりで二人、自分から自分に対話するのならそう伝わるのかもしれないが、それが知れたところで何の役に立つのだろう。
自分のなかの、主観と客観をうまく切り離せなくなっている。なぜなのだろう。
おおよそ答は出ている。余裕がなくなっているのだ。「他の人の気持ちに立って考える」という客観視の基本は、つまるところ、思いやる気持ちだと要約されよう。きっと自分のなかで、他人を思いやる心のようなものを保つスペースがなくなっていて、それは隅の暗いところに追いやられ、錆びついて動かせないのだ。
まとめると、いま自分は自身のことでてんやわんやで、内方へ意識が集中するあまり、余裕を失い視野は狭くなり、外方を度外視するという不埒をしでかしている。土壇場の本性。
江頭ミカの言葉を借りたい。こんな自分を、いったい誰が選ぶのだろう?
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心が幾つあればよかったのだろう。
辞書
最近よく英語を使うので、辞書がほしくなった。それも、どこでも引けるくらい小さくて、かつパワフルな英英辞書を。となればまずは紀伊国屋書店の洋書専門店をあたるべきだろう。それで新宿へ向かった。
店内は、ここに来ればいつものことだが、やはり異様な雰囲気だった。どこへ目を走らせても、見慣れないデザインの表紙にでかでかとボールド体で描かれたビビッドな外国語が飛び込んでくる。派手だ、と思った。奇抜だ、とも。
外国語に翻訳された人気の漫画の陳列や、見たことのない外国人の顔でいっぱいの雑誌コーナーを横目に、なんだか自分の居場所を見失ったような心地で、そそくさと辞書のコーナーへ急ぐ。数学、自然科学、心理学…。幸いそれはすぐに見つかった。英語の資格試験の棚の裏。
そこには、色々な種類(!)、色々な言語の辞書がずらりと並んでいた。ここで「種類」といったのは、thesaurus, proverb, idioms, grammar ... といった区分があったからだ。「thesauras」は類義語、「proverb」はことわざのことらしい。ふうん。
今回はコンパクトな英英辞書が目的なので、それっぽい辞書をぺらぺらとめくっていく。紙が粗雑なもの、古いのか印刷がにじんでいるもの、薄くてまっ白な紙を使っているもの。辞書にも色々あるのだなと感心しつつ見ていくと、あることに気がついた。
OEDという辞書が、たくさんあるのだ。それも、おびただしい数で。Mini, Little, Pocket, Academic, Concise, ... まだまだある。きっと一つの同じ辞書が、異なる情報量を持った小辞書として提供されているのだ。それらが一堂に会しているというのは、実に圧巻で迫力すらあり、気圧されてぼーっと見入ってしまう。
いやいや、と目的を思い出す。小さくて、だけど小さすぎないもの。対象を絞れば、Little, Colour, Pocket の三つに絞ることができた。Pocketは名前のわりに持ち運ぶには重すぎたし、せっかくだから色のついたColourを選んだ。黒と青の二色刷で、単語が濃い青で並んでいるところが気に入った。
購入を済ませて外へ出る。辞書はしまわず、重さを確かめるために片手で持って歩いてみると、さほど重くない。完璧だ。嬉しくなって、目についた街中の英単語を片っ端から引いてみながら帰途についた。
ここにすらかけない
淋しい。どうしようもなくて。