げらげら

ノンフィクションとは限りません。

awkward

大切なものが増えていくと、その分だけ、自分の心が表面化されている気がしている。最初は得体の知れなかった心という領域が、大切なものが分かるにつれて埋まっていく感覚がする。逆に、大切なものを失うにつれて空いていく感覚もする。

厄介なのは、得て失って、それで元通りになるかといえば、そうではないということなのだ。ここに確かにあったはずなのに、という、よすがの残滓のようなものが、頭に、体に残っていて、消えない。

でも、消えてしまえば楽なのだろうと推認する傍ら、消えてほしいとは願っていない。だから、いま得ているものと、これまで失ったもの、そのどちらも抱え続けて生きていくしかない。

したがって、心の空いたところは、それに不相応な大きさの欠片があるまま、空いたまま。それでも、いつかきっと抱えきれなくなって、欠片は時風に曝されて、丸くなって小さくなって、風化して、最後には忘却の海へ流されてしまうのだろう。すると、もういいんだよ、という、私自身からの最後通牒にもかかわらず、忘れたくない、忘れたくないなと祈っていると、自ら苦しい方へ、辛い方へ向かって、両手で首を絞めているようだから可笑しい。人間の精妙さには舌を巻くばかりだけど、どうしてこう不器用なところも多いのだろう。

私は、人間のこういうところが好き。